2009年04月13日
あの日見たテニス
過去の記事:テニススクール設立への思い
2002年の夏、僕はアメリカにいた。
初心者に毛が生えたような僕は、トーナメントはTier1とTier2という二つに分けられた大会の下のクラスに出ていた。
Tier2でベスト4に入るとTier1に上がることができるというシステム。
でも、Tier1に上がっても一回戦で負けるとまた下の大会に出場することになる。
下のクラスでも連続一回戦負け記録をまた1つ伸ばしたその日にたまたまTier1の試合を見る機会があった。
クラブハウスから出てすぐに僕の視界に入ってきたテニスはそれまでの僕のイメージにあったテニスとはあまりに異質だった。
200キロ級のサーブを打って果敢にネットに出て行くサウスポーの選手。
そんなサーブを絶妙なタッチでリターンエースをとる黒人選手。
ラリーをしようとかそういう意識はない。
少しでもチャンスがあればエースをねらっていく。
2人の人間があの狭い空間でネットをはさんでボールを打ち合っているだけの光景だったのだが、
とにかく、球の質も、攻めるタイミングとか、試合の雰囲気、すべてが衝撃だった。
(黒人選手はわからないがサウスポーの選手は今はUSオープンに出ているくらいなので今思えばショックで当たり前だ)
でも、なんだか分からないが胸の高鳴りを感じた。
あのワクワク感を今でも覚えていて、あの感じが忘れられないからこそ、この道を選んだといっても過言ではないほどの一日だった。
今でもいいテニスを見ると、あの時のことを思い出す・・。
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2002年の夏、僕はアメリカにいた。
初心者に毛が生えたような僕は、トーナメントはTier1とTier2という二つに分けられた大会の下のクラスに出ていた。
Tier2でベスト4に入るとTier1に上がることができるというシステム。
でも、Tier1に上がっても一回戦で負けるとまた下の大会に出場することになる。
下のクラスでも連続一回戦負け記録をまた1つ伸ばしたその日にたまたまTier1の試合を見る機会があった。
クラブハウスから出てすぐに僕の視界に入ってきたテニスはそれまでの僕のイメージにあったテニスとはあまりに異質だった。
200キロ級のサーブを打って果敢にネットに出て行くサウスポーの選手。
そんなサーブを絶妙なタッチでリターンエースをとる黒人選手。
ラリーをしようとかそういう意識はない。
少しでもチャンスがあればエースをねらっていく。
2人の人間があの狭い空間でネットをはさんでボールを打ち合っているだけの光景だったのだが、
とにかく、球の質も、攻めるタイミングとか、試合の雰囲気、すべてが衝撃だった。
(黒人選手はわからないがサウスポーの選手は今はUSオープンに出ているくらいなので今思えばショックで当たり前だ)
でも、なんだか分からないが胸の高鳴りを感じた。
あのワクワク感を今でも覚えていて、あの感じが忘れられないからこそ、この道を選んだといっても過言ではないほどの一日だった。
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