2008年07月21日
テニススクール設立への思い
僕が北京でテニススクールを開きたいと思ったのは
突発的に思ったわけではなくそこに行きつくまでの過程があります。
中学でテニスを始め、中学時代はテニスに打ち込みました。
とはいっても、日本の部活は1年生の頃は球拾い。
2年生の夏になりようやくコートでボールが打てるようになったと思えば1年後には引退でした。
3年生のときに、団体戦で全国大会でベスト8に入ったものの最後は自分のシングルスで負けてしまいもうテニスはやりたくないと思った時期もありました。
しかし、引退してからもテニスはやはり好きでスクールに通ってやりたいと思いましたがスクールには週1回しか通うことができませんでした。
高校に入学し転勤で北京に住むことになりました。
北京ではテニスコートがそれなりにあったもののテニススクールといったものがありませんでした。
それでも何故かテニスが大好きで壁打ちをしたり(といってもマンションの壁を使った本当の壁打ちですが笑)毎朝走ったりしていました。
テニスしか興味がなく勉強をあまりしないことで親とも何度か口論になり
「そんなにテニスが好きならアメリカでも行けばいい!」
という親の言葉で本当にアメリカのワイルテニスアカデミィにテニス留学することになりました。(笑)
その頃から北京にテニススクールがあればいいなという気持ちがあり、大学卒業後の進路を考えた時、自分がやりたいこと、できることはそれしかないと思うようになりました。
自分は下手なりにテニスによって悩まされ、泣かされ、喜び、成長することができました。
テニスを通じてこれからも色々な人と出会い成長していきたいなと思います。
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突発的に思ったわけではなくそこに行きつくまでの過程があります。
中学でテニスを始め、中学時代はテニスに打ち込みました。
とはいっても、日本の部活は1年生の頃は球拾い。
2年生の夏になりようやくコートでボールが打てるようになったと思えば1年後には引退でした。
3年生のときに、団体戦で全国大会でベスト8に入ったものの最後は自分のシングルスで負けてしまいもうテニスはやりたくないと思った時期もありました。
しかし、引退してからもテニスはやはり好きでスクールに通ってやりたいと思いましたがスクールには週1回しか通うことができませんでした。
高校に入学し転勤で北京に住むことになりました。
北京ではテニスコートがそれなりにあったもののテニススクールといったものがありませんでした。
それでも何故かテニスが大好きで壁打ちをしたり(といってもマンションの壁を使った本当の壁打ちですが笑)毎朝走ったりしていました。
テニスしか興味がなく勉強をあまりしないことで親とも何度か口論になり
「そんなにテニスが好きならアメリカでも行けばいい!」
という親の言葉で本当にアメリカのワイルテニスアカデミィにテニス留学することになりました。(笑)
その頃から北京にテニススクールがあればいいなという気持ちがあり、大学卒業後の進路を考えた時、自分がやりたいこと、できることはそれしかないと思うようになりました。
自分は下手なりにテニスによって悩まされ、泣かされ、喜び、成長することができました。
テニスを通じてこれからも色々な人と出会い成長していきたいなと思います。
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